2025年4月28日
30年以上前のことだが、銀行入行4年目の年から2年間出向し、運輸省の物流政策企画担当課の末席に加わった。「官僚」=杓子定規という偏見があったのだが、着任初日、上司から、「組織令にある所掌事務として読み込めるものは何でもどんどんやって良い」と言われ、驚いたことを覚えている。
システム障害や検査不正を起こした会社の「言われたことしかしない」「事なかれ主義」がやり玉に挙がったが、職務記述書で「『仕事』を先に決める「ジョブ型」は、この「事なかれ主義」を助長するリスクがあるのではないか?律令制以来の組織分掌の方がよほど柔軟性があるように思われる。ちなみに、以前、外資系生保にいたとき、株主が変わり、アメリカ本社から乗り込んできたトップから「全社員の職務記述書を作れ」と言われたのだが、「組織分掌があるので必要ない」と反論し、諦めてもらったことがある(「ジョブ型」が流行し始める以前のだいぶ昔の話だが)。
「『人』が先ではなく、『仕事』が先」とか「『適材適所』ではなく『適所適材』」だ、という人もいるが、失礼ながら、建設的な議論とは思えない。過去に見てきた外資・海外の金融機関で職務記述書をきちんと整備、更新しているところはなかったし、アサインする人の経験・能力によって前任者とは職務内容を変える、あるいは、その人の能力を活かすために別のポジションをアサインする、ということも頻繁に行われていた。「仕事が先」にこだわっていては、人材活用が硬直的になるのではないか?
言葉遣いについて、そんなにムキになる必要はないかもしれないが、「人財」という当て字も好きになれない。「人材」の「材」は、「材料」ではなく、才能の「才」の意味で使われており、何もわざわざ「財」に替える必要はないと思われる。「仕事が先」「適所適材」と言う人ほど「人財」と書きたがる傾向があるように感じるが、「我が社は人を大切にしているので『人財』です」と殊更に強調するのはなんだかわざとらしい感じがする。「人が大事」なのであれば、「仕事が先」「適所適材」と言うのは矛盾ではないだろうか?(ちなみに、「人財」と書く人は「適所適財」とすべきだろうが、まだ見たことがない)
肝心なのは、社員一人ひとりの能力、経験、適性、価値観の違いを見極め、その違いに応じてその人の成長につながる仕事をアサインする、あるいは成長につながる目標を共有することではないか?社員が成長し、会社も成長するサイクルをつくる「人」起点のマネジメントが必要だろう。
社員が自分の属する会社の理念に共感し、自分自身の仕事の意味を腹に落とし、その意味を実現しようとする意識・姿勢を促したい。「お客さまに提供すべき価値は何か」「その価値を生むために何をすべきか」を議論する場を設けたり、一人ひとりの力の発揮・向上状況について1on1で上司と部下が丁寧にすり合わせる。常に社外のベストプラクティスに目を向け、切磋琢磨して新しいアイデアを生む出すことを促す。上司が部下の「心理的安全性と「多様性」を尊重し、一人ひとりの知恵を最大限に活かすマネジメントを徹底する。言われたことだけを言われた通りにやるだけの「タスク」ではなく、社員一人ひとりが、お客さまに対し提供する価値を追及する「ジョブ」を極める。この意味での「ジョブ型」にしたい。
(「上司と部下が1on1ミーティングをやり、部下のやる気が上がったところ」をAIに描いてもらったのですが、家庭教師と子供のような絵になってしまいました)