じんじ徒然草(代表者のつぶやき)

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リスキリング礼賛?(つづき)

                                2025年7月11日

自己啓発に消極的な社員が挙げる理由として、「忙しくて余裕がない」「費用がかかり過ぎる」といった声が多い。しかしながら、これらの障害は、オンライン受講機会の拡大により解消されつつある。その気になれば、世界中の専門的な講座や勉強会にも気軽に参加できるはずである。また、「何をやればよいかわからない」という社員も多い。このような現状を踏まえると、企業としても、支援費用を増やせばよい、ということではなく、「学び直し」の意義、効果を示し、社員の好奇心、学習意欲を的確に刺激、促進する必要がある。

そのための打ち手として、管理職のマネジメント力強化、キャリアコンサルティング拡充、異動配置や評価・処遇の見直し、社員がお互いに学び合う風土醸成といったことにも検討範囲を広げるべきである。現状維持バイアスを取り除き、少しでも昨日の自分とは違う自分を目指してもらうモメンタムをつくることが望ましい。

 

ちなみに、この「昨日の自分とは違う自分になる」「常に成長し続ける」ことの重要性は、600年前、世阿弥が説いているそうである。

「初心忘るべからず」。一般的には「物事を始めたときの謙虚な気持ちを忘れるな」という警句として理解されていると思うが、原文は「是非の初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」。若年期から老年期に至るまで、そのときどきの拙さ、未熟さ一つひとつを忘れず、限りなく向上を目指すべし、という趣旨との由。

この600年前の言葉の重みと比較すると、「リスキリング」は少々薄っぺらな気がするのだがいかがだろうか?

リスキリング礼賛?

                                 2025年7月4日

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年前くらいからだろうか?「リスキリング」がバズワードになっている。

「人的資本経営」や「ジョブ型」同様、大手コンサルや学者、はたまた教育産業に盛んに喧伝され恰好の儲け口にされている感もあるが、実際のところ、大企業の6割、中小企業の4割が、AI活用、ITプロジェクトマネジメント、データ活用等に関する教育に取り組んでいるようである(パーソルイノベーション社「リスキリング調査レポート」)。

 
この動きの背景として、「デジタルトランスフォーメーションの進展等、非連続かつ急速な環境変化にいち早く対応し、組織的に学習のサイクルを回さないと勝ち残れない」、という危機感があることは確かだろう。一方、社員個々人にとっても、「人生100年時代」を生き抜くため、専門性を高めたり、幅を広げていく必要性が高まっている。また、コロナ禍がリモートワークや兼業・副業の拡大等、働き方に関する意識や価値観に大きな影響を与えたことも、「学び直し」積極化の契機となっているということだろう。

 
この点、6月27日に発表された厚生労働省「能力開発基本調査」結果を見ると、令和5年度に自己啓発を行った労働者は全体の36.8%、その労働者が自己啓発にかけた年間の延べ時間・費用は平均46.2時間、32.2千円にとどまっている。とは言え令和元年度(それぞれ32.2%、40.7時間、28.9千円)と比べれば10数パーセント伸びているが、業種、企業規模、社員の年齢層等による取組姿勢のばらつきが大きい。

これに対し、令和5年度に企業が負担した教育訓練費(Off-JT及び自己啓発支援費用)は、労働者一人当たり1.9万円にとどまり、令和元年度の1.8万円とほぼ変わらない。企業の取組姿勢にも業種や企業規模による格差があるが、いずれにしても肝心なのは社員自身の意識・姿勢であろう。(つづく)

「転職の魔王様」もびっくり?

                                 2025年6月24日

小説「転職の魔王様」(額賀澪)。人材紹介会社に勤め、「魔王様」の異名をとる敏腕キャリアアドバイザー・来栖嵐は、初めて会う転職希望者に対し、「未経験業界に行けるのは25歳まで、35歳が転職限界年齢なんて言われています」と、突き放すようなコメントで面談を始めるのが常である。

ところが、現実の転職者数の推移を年齢層別に見ると、45歳以上の中高年齢層の転職者数・割合とも増加傾向にある(総務省・労働力調査)。また、転職後に年収がアップした人の割合は、40代で52%、50代で42%と、これまた増加傾向にある(2024年エン・ジャパン調査)。来栖氏は、もう少しポジティブな説明をしても良いかもしれない。

 自らの経験や能力を活かすため、転職する、あるいは転職を考えるシニア人材が増えている一方、処遇が見直される55歳とか60歳といった年齢に近づくにつれ、力を抜き、会社にぶら下がろうとするような社員も珍しくなく、この意味で二極化が進んでいるように思われる。後者のような社員が増えていくとすれば、企業にとっても、その人たち自身にとっても、非常にもったいない話である。また、ベテラン社員がノウハウを貯めこみ、ブラックボックス化してしまうケースもある。「自分のポジションをできるだけ確保したい」という気持ちは理解できるものの、組織能力の維持・向上、新陳代謝の促進の観点からは困った問題である。 

一方、尖った専門性や豊富なノウハウを次世代に継承しようとするシニア人材はもちろん、デジタル化等知識・技術の進展にも即応しリスキリングに努める意欲の高いシニア人材は、企業にとって非常に得難い存在である。人件費管理の観点から慎重な検討が必要かもしれないが、「余人をもって代えがたい人材」は相応に処遇すべきであろう。とは言え、この場合も、いつまでもその人材に期待できるわけではなく、また、若手社員に対し「上がつかえている」閉塞感を与え、モチベーションを下げる要因になる。後継者育成にもしっかり力を入れ、新陳代謝も図っていきたい。管理職は、担当組織のシニア人材の活用と若手の積極的登用の両方に目配りしたマネジメントを行う必要がある。

帰属意識に対する「遠心力」

                                 2025年6月16日
  
総務省「労働力調査」によると、全国の「転職者」は、コロナ前の2019年、過去最高の353万人を記録したが、2021年には290万人まで減少。「より良い条件の仕事を探すための転職」が大きく減る(127万人→96万人、△24.4%)一方、「会社倒産、人員整理、事業不振等による転職」が増えており(43万人→48万人、+11.6%)、コロナ禍に伴う景況感後退を色濃く映していた。

しかしなから、その後リバウンドし、2024年には331万人となっている。この背景として景況感の復調、人手不足があるが、働き手の意識も変化している。「より良い条件の仕事を探すための転職」が大きく増え(96万人→125万人、+30.2%)、「会社倒産、人員整理、事業不振等による転職」は減っており(48万人→39万人、△18.8%)、積極的な転職志向が強まっている。

転職予備軍の「転職等希望者数」も2021年以降急増し、2023年には1,000万人の大台を超えている。2024年は1,000万人だったが、その内訳を見ると、雇用形態別では「正社員」が564万人(2019年比+46.9%)、職業別では「管理的職業従事者」「専門的・技術的職業従事者」「事務従事者」が計440万人(同+41.9%)となっており、コロナ禍以降、典型的サラリーマンの雇用流動化を推し進めるマグマが膨らんでいるように思われる。

 

コロナ禍渦中のリモートワーク拡大に伴い、働く場所や働き方の多様化が進み、社員のライフスタイルや価値観が大きく変化した。最近、原則出社方針への復帰傾向も見られるが、いったんリモートワークが当たり前になった経験が、社員の帰属意識に対する「遠心力」として働いていることは間違いないであろう。このような社員の意識・志向に対する「求心力」を如何に強めることができるか、組織開発の重要性が増大している。

「偶然」と「転機」

                           2025年4月11日

「偶然」と「転機」。一人ひとりのキャリアは、この2つの組合せの妙の上に成り立っているのではないでしょうか。デジタルトランスフォーメーション(DX)が急速に進む「人生100年時代」において、自分らしく、より良いキャリアを作っていくためには、「偶然」の出来事を好機とし、また、「転機」をうまく乗り切ろうとする社員自身の自律的な取組みに加え、企業(直接的には上司)の積極的な支援がますます重要になっていくでしょう。
 
ちなみに、キャリアカウンセリング理論のクルンボルツ博士によれば、「偶然」を好機に変えるスキルとして、①好奇心、②持続性、③柔軟性、④楽観性、⑤リスク・テイキングの5つがあり、この5つのスキルを使って「計画された偶然」を作り出すことで、「人生の質」を深めることができるそうです。クルンボルツ博士自身も、テニスに熱中し専攻を決めかねていた学生時代、テニスのコーチがたまたま心理学の先生だった「偶然」が作用したとの由。

閑話休題。私は、大学卒業後、銀行の法人営業担当としてキャリアを始めましたが、30歳の時、人事企画担当に異動したのが人事キャリアの起点。その後、銀行の経営悪化に伴い、外資系投資銀行に転籍。「人事から離れたい」と思って別の銀行に転職。不動産証券化やM&A等の法人営業を担っていたところ、三行合併後の人事制度をつくる必要がある、ということでまた人事部。その後の外資系生保では、人事だけでなく、経営企画の責任者として収益管理や広報も担当。前職の証券会社では監査部長も経験。このような変遷がありましたが、結局、自分にとってのキャリアの柱は、通算約28年一貫して金融業界で携わってきた人事の仕事ということになります。

コロナで外出もままならなかったなか、「この経験を何かしら次世代に遺すことができたら良いな」という心境になり、「企業価値を高める組織・人材マネジメントの思考と実践」(きんざい)を上梓した次第です。名だたるコンサルティングファームの方から「実務家がこういう体系的な本を書いたのは初めてではないか」とおっしゃっていただきました。よろしければ、一度手に取ってみていただければ幸いです。

(労働新聞社「労働新聞」コラム「ぶれい考」掲載原稿を同社許諾を受け転載、一部修正。画像はCopilot作)

どこで働くか?

                               2025年4月20日

 
39年前(!)、新卒で銀行に入り、命じられた初任地は大阪。縁もゆかりもない土地ながら、恵まれた環境で仕事の基礎を叩き込まれ、楽しく充実した毎日だった。2年後、異動となり、早朝、新大阪の新幹線ホームにわざわざ大勢の支店メンバーが集まり万歳三唱で送り出してくれたのを思い出す(古き良き昭和のひとコマ?)。

時は移ったが、依然として「辞令一つで全国どこへでも転勤当たり前」の企業も多いと思われる。しかしながら、90年代初め頃から、「働く部署は自分の意志で決めたい」という社員のニーズに対し、自己申告、FA、ジョブポスティング等の制度で部分的にせよ応えようとする企業の動きが一般的になった。さらに最近では、コロナ禍が多くの人の「働く場所」に関する意識に大きな影響を与え、隔地転勤を敬遠したり、「どこで働くか」より「どこに住むか」を優先する人が珍しくない印象もある。ここ1、2年、就職活動している学生は、さらに地元志向の度を強めているのではないか?
このような状況下、本人が望まない隔地転勤を廃止した企業、リモートワーク前提で地方勤務者の本社配属を行う企業、あるいは本社機能の地方分散を行う企業もある。これに「ジョブ型」への移行が加わると、場所だけでなく、仕事も固定化する流れになっていく。
「令和元年版労働経済白書」でも、「本人の希望を踏まえた配属、配置転換が社員のエンゲージメントと正の相関がある」という分析が示されているが、より良いキャリアをつくるためには、一つの限られた領域の経験だけでなく、広い視野、高い視座も必要と思われ、また、そもそも、仕事を決める上で、自分自身の適性や価値観をどこまで十分理解、把握しているのだろうか?、と思わなくもない。
可能性の幅は広めに持ち、柔軟に考えた方が良いのではないだろうか。よほど際立った専門性を持っている場合は別として、拙速に決め打ちして自分の可能性を狭めない方が良いのではないか、と思うのだが、大きなお世話だろうか。

労働新聞社「労働新聞」コラム「ぶれい考」掲載原稿を同社許諾を受け転載、一部修正。画像はMicrosoft Designerで作成。新幹線が新しすぎますが、、。

「仕事が先」「適所適材」「人財」?

                               2025年4月28日

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年以上前のことだが、銀行入行4年目の年から2年間出向し、運輸省の物流政策企画担当課の末席に加わった。「官僚」=杓子定規という偏見があったのだが、着任初日、上司から、「組織令にある所掌事務として読み込めるものは何でもどんどんやって良い」と言われ、驚いたことを覚えている。

システム障害や検査不正を起こした会社の「言われたことしかしない」「事なかれ主義」がやり玉に挙がったが、職務記述書で「『仕事』を先に決める「ジョブ型」は、この「事なかれ主義」を助長するリスクがあるのではないか?律令制以来の組織分掌の方がよほど柔軟性があるように思われる。ちなみに、以前、外資系生保にいたとき、株主が変わり、アメリカ本社から乗り込んできたトップから「全社員の職務記述書を作れ」と言われたのだが、「組織分掌があるので必要ない」と反論し、諦めてもらったことがある(「ジョブ型」が流行し始める以前のだいぶ昔の話だが)。

 

「『人』が先ではなく、『仕事』が先」とか「『適材適所』ではなく『適』」だ、という人もいるが、失礼ながら、建設的な議論とは思えない。過去に見てきた外資・海外の金融機関で職務記述書をきちんと整備、更新しているところはなかったし、アサインする人の経験・能力によって前任者とは職務内容を変える、あるいは、その人の能力を活かすために別のポジションをアサインする、ということも頻繁に行われていた。「仕事が先」にこだわっていては、人材活用が硬直的になるのではないか?

 

言葉遣いについて、そんなにムキになる必要はないかもしれないが、「人」という当て字も好きになれない。「人材」の「材」は、「材料」ではなく、才能の「才」の意味で使われており、何もわざわざ「財」に替える必要はないと思われる。「仕事が先」「適所適材」と言う人ほど「人財」と書きたがる傾向があるように感じるが、「我が社は人を大切にしているので『人財』です」と殊更に強調するのはなんだかわざとらしい感じがする。「人が大事」なのであれば、「仕事が先」「適所適材」と言うのは矛盾ではないだろうか?(ちなみに、「人財」と書く人は「適所適」とすべきだろうが、まだ見たことがない)

 

肝心なのは、社員一人ひとりの能力、経験、適性、価値観の違いを見極め、その違いに応じてその人の成長につながる仕事をアサインする、あるいは成長につながる目標を共有することではないか?社員が成長し、会社も成長するサイクルをつくる「人」起点のマネジメントが必要だろう。

社員が自分の属する会社の理念に共感し、自分自身の仕事の意味を腹に落とし、その意味を実現しようとする意識・姿勢を促したい。「お客さまに提供すべき価値は何か」「その価値を生むために何をすべきか」を議論する場を設けたり、一人ひとりの力の発揮・向上状況について1on1で上司と部下が丁寧にすり合わせる。常に社外のベストプラクティスに目を向け、切磋琢磨して新しいアイデアを生む出すことを促す。上司が部下の「心理的安全性と「多様性」を尊重し、一人ひとりの知恵を最大限に活かすマネジメントを徹底する。言われたことだけを言われた通りにやるだけの「タスク」ではなく、社員一人ひとりが、お客さまに対し提供する価値を追及する「ジョブ」を極める。この意味での「ジョブ型」にしたい。

(「上司と部下が1on1ミーティングをやり、部下のやる気が上がったところ」をAIに描いてもらったのですが、家庭教師と子供のような絵になってしまいました)

人事部の役割とは?

                                2025年5月14日

初めて人事部に配属された32年前、銀行人事部の最大のミッションは「役員候補の社内選抜」だった。人事運用の担当者が定期的に全拠点を巡回し、個別面談を行って、一人ひとりの人柄や能力、適性を頭に叩き込み、どの社員をどこに配置するか、深夜まで侃々諤々の議論を重ね人事異動案を組み立てていた。人事部が絶大な人事権を持ち、社員の入行年次を軸にした「年次管理主義」の人事運用だった。

これに対し、27年前、外資系投資銀行に移り経験した人事部は、アドミニストレーター的存在。当時から、業務の必要性に応じて中途採用を行い、マーケットバリューを参照して処遇を決める「ジョブ型」が確立しており、人事権は各部門が握っていた。「戦略人事」への転換を試みていたものの、グローバルなレポーティングラインで動く各ビジネスの独立色が強く、それぞれの部門の権限が圧倒的に強いなかにあって、人事部が存在感を発揮する主な場面は、退職勧奨等の労務リスク対応にとどまっていた。

以上のモデルは両極端だが、当時のそれぞれの業態に適合するものだった。ところが、昨今、社会経済環境の大きな変化や業務の多様化・高度化が進み、当然ながら、このようなモデルでは到底対応できなくなってきている。今、多くの人事部は、経営戦略実現に向け、各ビジネスの特性に応じた適材適所を進めようと模索しており、経営戦略の策定・実行を支援する「ビジネスパートナー」としての役割が重要になっている。併せて、戦略を実現するための人材確保と活用が不可欠なので、社員一人ひとりの状況をきめ細かく把握し、能力開発やキャリア形成を支援して、エンゲージメント向上を図る必要もある。このように、各部門の経営戦略を支えるベクトルと社員に寄り添うベクトルの両方を同じ方向に統合する必要がある。戦略や目指す業績水準につき、経営層と社員の共通理解を促進し、企業と社員双方の成長を支援するのが人事部の重要な役割となっている(つづく)。

人事部の役割とは?(つづき)

                                 2025年5月28日

今、我々は、将来予測が極めて難しい状況に直面している。何よりも「現場」の情報をもとにいち早く戦略・態勢を変えていかなければ勝ち残ることはできない。加えて、組織風土の変革が大きな経営課題となっている。メーカーの検査不正、車ディーラーの不正等が相次いで露見しており、その原因として、事なかれ主義、強い同調圧力等が指摘されている。この問題は多くの企業にとって対岸の火事ではなく、企業の社会的責任を果たすために為すべきことを為し、問題があれば、教訓を生かして迅速な行動変容につなげる組織風土とする必要がある。また、リモートワーク拡大が社員エンゲージメントに対する遠心力となった面もあることから、組織開発と、それによるエンゲージメント向上が人事部の重要課題となっている。

 

この課題に対し人事部が取り組むべきは、第一に、多様な価値観の社員の紐帯としての「企業理念の共有」促進である。企業の存在意義を踏まえ、それぞれの社員が担う仕事の意味や、それを実現するための課題を組織内で議論するほか、上司からメンバーに対し適時適切にフィードバックを行う場を設定して、プロフェッショナルとしてふさわしい仕事の取組みを促す。第二に、社員の挑戦を促し、新しいこと、難しいことに対する挑戦自体を積極的に評価する。また、ファシリテーションスキルを強化して、メンバーそれぞれが腹蔵なく意見を表明するよう促し、お互いに異論を受け入れ、助け合う「心理的安全性」を確保することである。

 

人事部自身も漫然と従来と同じやり方を続けるのではなく、新しい知恵と工夫にチャレンジしなければならない。人事部の機能強化が必要である。社員の能力、適性、価値観を把握し、担当部門の戦略実現をサポートする人事ビジネスパートナーの機能向上に重点を置くとともに、人事制度企画、採用、教育、組織開発等の機能相互の連携を強化する必要もある。人事部員は、経営視点と全社横断的な視野とともに、社員に寄り添う意識・姿勢・スキルを持つことが必要である。人事以外の幅広い業務経験を持つ人事のプロを育成する必要性が増している。

匿名の暗殺

                                  2025年5月5日

anonynous assassination(直訳すると「匿名の暗殺」)。人事の仕事をしていてこんな物騒な言葉を耳にする機会はめったにないだろう。数年前、当時在籍していた会社の海外現地法人に360度サーベイの導入を働きかけたところ、「誰が評価者かわからない無責任な評価で管理職を殺すのか!anonynous assassinationだ」と猛烈な反対を受け、びっくりしたことがある。この発言の背景には、評価は上司が部下を動かすための最強のマネジメントツールであり、上司の専権事項であるべきだ」という強い思いがあったと理解している。

これに対し、一般的には、360度サーベイについて、「評価の客観性や納得感を増す」メリットが強調されることも多く、会社によっては、サーベイ結果を直接的に報酬に反映する例や、360度サーベイの結果で経営者候補を選ぶという例もある。しかしながら、評価基準があいまいな数名の評価に、処遇を決めるに足る「客観性」や「納得感」を期待できるだろうか?

360度サーベイは、やはり、基本的には、今後の能力開発に向けた気づきを得る教育目的での活用にとどめるべきものであろう。結果について丁寧なガイダンスを行うことで「匿名の暗殺」を避けることは可能であり、大きな効果を期待できるはずである。

 

(労働新聞社「労働新聞」コラム「ぶれい考」掲載原稿を同社許諾を得て転載、修正)

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